JR加古川線 非電化時代 /鉄道がある風景-懐かしの鉄路
 
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Page Start 2012.6.23 最終更新日【2012.6.23】
JR加古川線 非電化時代
加古川鉄橋を渡る冷房化更新されたキハ47。 黒田庄での交換シーン。晩年の加古川線カラーはエメラルドグリーン地にホワイト線、オレンジのアクセントというものでした。
DATA
JR加古川線

電化履歴:
1991年9月1日
 加古川~谷川


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解説
JR加古川線は2004年12月19日付で全線電化となり、以前のイメージとはずいぶん変わった路線に変貌しました。かつてはボロ気動車メインの、気動車のゴミ捨て場のような路線でした。キハ30・35形、キハ23形がメインで、その後キハ40・47が配備され少しはマシになりましたが、昭和の終わりまで非冷房の鉄粉まみれの車両が幅を利かせていました。

非電化区間の近代化としてキハ35の置き換え用に冷房搭載のキハ37形が導入されましたが、旧型車の置き換えまでせず、そのままJRに引き継がれます。

JR化後はイメージチェンジのため地色が青緑に白帯という、加古川色が導入され、雰囲気が少しは変わりましたがまだまだ非冷房が多数存在していました。鍛冶屋線廃止後は車両をキハ40・47形に統合。その後バス搭載クーラーの設置などで冷房化が進み小マシな鉄道になってきます。

また、一時は快速運転も設定されていましたが、知らない間になくなってしまいました。

加古川線のイメージが大きく変わったのは、やはり電化と加古川駅高架化でしょうか。電車化で各駅のホームの嵩上げがされ、それに合わせて駅舎もいくつかリニューアルしたところも。加古川駅はかつてはホーム端っこから出ていた気動車たちが高架の上から出発するピカピカ電車(といっても大半は中古)になって、すごい変わりようです。

しかも電車化でスピードも少し早くなり、また加古川駅で接続する新快速利用での神戸・大阪方面移動が便利なことから、ずっと減少していた利用者を少し取り戻した模様。JR的には成功したことになっています。皮肉にも存廃で揺らいでいる粟生接続の神戸電鉄のお客さんも奪ってしまいました。

電化当時についてはJRは気動車運行よりもコストが安くなるという理由で電化を行ったと記憶しています。気動車の置き換えよりも大量に持っている103系電車を活用することで総合的に安いという判断になったのかもしれません。電化工事はコストを抑えるべく、架線等を簡易仕様にするなど低コスト化が図られています。電化後は加古川線カラーを継承も103系お古改造車が主体。

それに加え、阪神大震災で山陽側交通網がストップした際の代替ルートにもなったことから兵庫県など地元が電化に関心を示し、公的な補助金を得たことも大きな理由だったようです。

西脇市~谷川は電化時に廃止になるとか、気動車単行で残るとかいろいろ噂がありましたが、結局オール電車化となりました。一部気動車を残すほうがあとあと手がかかるという判断だったのかな。



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