JR七尾線:非電化時代/鉄道がある風景-懐かしの鉄路
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Page Start 2012.2.2 最終更新日【2012.2.2】
JR七尾線 非電化時代
SL重連で運行されたときめき号。 全車グリーン指定だった特急ゆぅトピア。
DATA
JR七尾線 津幡~和倉温泉

電化履歴:
1991年9月1日
 津幡~和倉温泉
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解説
JR七尾線は北陸本線津幡から能登半島へ伸びる路線で、かつては終点和倉温泉から現のと鉄道穴水を経て輪島へ伸びていた路線です。

国鉄赤字廃止対象となっていた能登線の第三セクター化が決定。能登線自体はのと鉄道として先に1988年3月25日に開業。同時にかつてから話が盛り上がっていた七尾線電化も行われることとなります。

当時七尾線には金沢での乗換手間を省くという以前からの課題があって、試験的にゆぅトピア号という、特急雷鳥のお尻に併結されて乗り入れるオールグリーン車指定席のDC特急を走らせていました。

ただ、電化前提はゆぅトピア号を走らせていた、採算が見込める和倉温泉まで というJR西の主張があり、その先を開業後好調だったのと鉄道が和倉温泉以北を引き受けることで話し合いがまとまり、JRから切り出されてのと鉄道七尾線となりました。

1991年9月1日に電化完了となり和倉温泉まで電車の運行を開始。併せて和倉温泉以北の乗車利便性から急行能登路号をのと鉄道に乗り入れていました。

電化に当たってはコストを抑えるべく、直流電化となり、また人の流れから基本、金沢発着となるため電車は交直流タイプが使われています。電車は新造されず、北陸本線と供用で415形などが投入されました。

とはいえ、もともとはキハ58急行「能登路」が金沢と奥能登を結んでいたことから、のと鉄道になってからも金沢から輪島や珠洲方面へしばらく乗り入れていました。

JR/国鉄時代は主にキハ58やキハ47・48、キハ20が使われ、JR発足時に白ベースに青のストライプが入った能登カラー(小浜カラーの色が逆)に塗り替えられていました。急行も黄色に白のカラーリングに変更され、内装のモケットの取り換え等、少しだけお化粧直ししていました。

朝のラッシュ時対応として金沢~七尾には客車列車も確か運行されてましたね、電車化によりなくなってしまいましたが、3連の415形だと3+3と増強できるのでちょうどよくなったかもしれません。

北陸新幹線開通後は経営の切り離しが予定されており、のと鉄道が運行管理するものと思われます。


思い出

3セク化前に能登線、七尾線に乗りに行ったとき以来、乗車はもうずっとしてませんね。能登へ行くのが遠くて、旅程作成に結構苦労した思い出があります。珠洲から先、蛸島へ行く列車が結構省かれていたので、氷見線や城端線乗車も欲張って最適な乗り方に頭を痛めたものです。

七尾線自体の車窓は意外と海が見えなくて結構つまらなかった記憶です。その後はSL運転時に写真を撮りに行ったくらい。その後はのと鉄道中心に撮影に行ってましたので、電化前も電化後もあんまり印象がないところです。


「鉄道がある風景」/RailScape
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